2012年3月4日日曜日

思考の流れのままに

ブログを書くときは、いつも書きたいポイントを考える。

「これが言いたい」

があって、その中でさらに細かいポイントをリストアップした後、並び替えるようにして書いていく。

が、最近は、文章教室用に文章を書いたり、コンテスト応募用の文章を書くため、書いている時間より、考えている時間の方が長い気がする。

そうすると、

「もっと自由に書きたい。書きたいことを好きなように書きたい」

なんて思い始めてしまう。

だから、今日は、思考のままに、この週末のことを書き流してみよう。

土曜日は、朝から着物を着るつもりだった。

「小紋」という種類のお出かけ着だ。

お茶のお稽古や家での普段着のウールの着物より、ワンランク上になるらしい。

この着物を着るのも、この着物に合わせた帯の結び方を試すのも初めてだったので、着付けを頼もうかとも思った。が、なんと40分だかの着付けに4,000円。

その値段にいまひとつ納得が行かず、母に手伝ってもらって自力でトライすることにした。

事前にDVDで予習もした。

が、10:30から、母と二人で着付けを始めたにもかかわらず、12時過ぎてもまだ帯が結べない。

外出時間が刻々と迫り、ついにこの日に小紋を着るのはあきらめた。

そうして出かけた先は、文章教室。

80代のクラスメートから、妹さんが自分のさみしさから息子さんを手放せない(=結婚させたがらない)という話を聞き、何とも言えない気持ちになる。初めて顔を合わせた60代のクラスメートは、エネルギッシュで明るい商売人気質の方。プライベートに突っ込まれる質問には答えず、笑って受け流した。

教室の後は、初・文楽体験。そのために、がんばって着物を着ようとしてたのだ。

会場に入ると、女性の人形とその人形を操る方に迎えられた。東日本大震災の義援金を募っておられたのだ。何よりも、まずその人形の大きさに驚く。そして、その人形の曲線を描くようななめらかな動きに。

文楽の印象は、一言でいえば、「昔の日本の人形劇」。人形の動き、三味線の音色、そして、解説者による物語の解説と人形のセリフが同時進行する。

物語の筋やそれぞれの人形の台詞には、聞き取れない箇所も理解できない箇所もあるけれど、そんなものかな。お能の言葉も、予習なしではとてもすべては理解できないし。

「お能と同じように、あまり頭で考えず、五感を解放して体全体で感じるものなのかな」

と思ったりした。

印象的だったのは、一人の三味線弾きさんの三味線の音色。凛とした透明感のある三味線の音色は、天井高くに向かってどこまでも登っていくようで、思わず、舞台そっちのけで目を閉じて聞き入った。

「三味線を習ってみるのもいいかもなぁ」

なんて思ったりもしてしまった。

が、その三味線弾きさんが交代した後は、眠くなってしまい、ついつい居眠り。

さて、物語終盤になると、頭が冴えてきた。

というか、気持ちが冷めてきた。

この物語、結末は、女性が男性のために自分の命を投げ出す「美談」になっていたのだ。女性の命で男性が助かり、喜ぶ男性と周囲の人たち。死にゆく女性も、男性が助かったのを見て「喜んで息絶える」(「喜んで息絶える」はパンフレットより引用)。

それを見ながら、300年にわたってこの物語を受け入れてきたのであろう日本人を思い、同時に特攻隊のことを思い出した。自分の命を、自死という形で他者にささげることを美しいこととする日本人のメンタリティー。特攻を生み出した日本人の精神性は、300年前のこの時代からあったのかと思ってしまった。つい先日、特攻隊員を主人公にした『永遠のゼロ』という本を読んだせいもあるのかもしれないが。

そうして、文楽を見終わって思ったのは

「昔の日本人の、こういう精神性にはついていけない」

というのが正直な感想。

文楽を見に行くことは、もうないかもしれない。

……が、小紋の着物は着られるようになりたい。

着付け教室に問い合わせをしてみると、週に一回の教室に三カ月通えば、小紋の着物を自分で着られるようになるという。費用は約12,000円。

今、母が私用に直してくれている着物も、小紋が多い。それが自分で着られるようになれれば……いや、着られなければ、そのたびに4,000円? そうすると、きっとなかなか着せてもらうこともできないだろう。

けれど、小紋の着物が自分で着られれば、大抵の場--パーティー、結婚式、お茶会、観劇--には着物で出られるはず。

4月に入ったら、とりあえず見学に行ってみようかと、気持ちが傾く。初・文楽の一番の収穫は、着付けに本気になったことかもしれない。

2012年2月22日水曜日

お勤め一年


今日で、今の職場で働き始めて一年になった。

いや、いろんなことがあった。

仕事面では、自分の希望する分野の、自分の希望する種類の翻訳を、自分のペースで翻訳させてもらい、十二分に満足し、感謝もしている。

労働条件にも、まったく不満はない。

環境にも、恵まれていると思う。

時々、子供のようにワガママを言ってくる上司Aに困ることもあるが、上司Bが助け船を出してくれたり、同僚の頼もしいアドバイスで、無事に乗りきれた。

「とりあえず5年働くつもりでいてください」

と言われて入社した一年前。

いろんな人と出会い、こまごまとした摩擦をそれなりに乗り越えて関係を築き、再びソフトランディングした感覚の一年目。

人の出入りがあって風通しがよい職場で、明るくフットワーク軽く、気さくな人達の中で、自分の望む分野の翻訳の仕事を、自分のペースでさせてもらえる。

ここで働ける限り、働かせてもらえればいいなぁと思う。

そして、今日の日に合わせて、一年働いたご褒美にと、少し大きなお買いもの。

値段が張るので悩んだけれど、これからもしっかり働くつもりで、一生使うつもりで、そしてこの品物にふさわしい50になるつもりで、革鞄を購入。

この鞄と一緒に、これからも育っていければと思う。

2012年2月20日月曜日

「我慢するっていいことよ」

我慢という言葉は、苦手だった。

これまで、特にこの言葉と縁があったわけじゃない。それでも、この言葉には、「不条理なものに耐える」というネガティブな印象があった。

いつだったか、知り合いから

「それくらいは我慢しなきゃ」

と当然のように言われ、あぜんとしたことがある。

「人に我慢を強いるなんて、一体、この人はどういうつもり?」

と。

だから、先月のお茶のお稽古中、70代後半の先生に

「我慢するっていいことよ」

とのんびりした口調で言われた時は、耳を疑った。

「意地悪されて泣くことがあっても、その場で相手に仕返ししなくても、お天道様にまかせていれば、めぐりめぐってなるようになっているから」

と。

「後になると、その人たちはみんな自業自得になっていて、『あぁ、私が泣いたのは、無駄じゃなかったんだな』って思ったものよ」

と。

我慢がいいことなんて、想像したこともなかっただけに、

「そんな論理もあるのだなぁ」

と感動した。

その数日後にあるコラムを読み、再び先生の言葉を思い出した。

その記事は、偉大な教師が、子供たちの人生をどのように変えるのかを、実例を引きながら説いていた。

記事の中には、貧しい家庭の黒人の少年が登場する。万引きの常習犯で、先生に対しては攻撃的。特定の先生に意地悪をして、泣かせてしまうこともあった。アルバイト先では、盗みを働いて捕まり、問題だらけの人生に向かってまっしぐらのように思われた。

ある日、高校三年生のその少年は授業をさぼって、自分が泣かせた先生が立ち上げた図書室へ行った。少年は読書家ではなかった。ただ、そこでセクシーな表紙の本を見つける。借りようかと思ったけれど、他の子供たちに知られるのが屈辱に思えて、本を盗んだ。読んでみると面白かった。再び図書室に戻ると、同じ作家の本がその棚にあったので、その本も盗んだ。その本も面白かった。再び図書室に戻ると、また同じ作家の別の本があった。そんなことが四度続いた。

少年の進む道が変わった。読書が好きになり、次第にもっと難しい小説や新聞、雑誌を読み始めた。大学へ行き、その後はロースクールへ入った。

1991年、その少年は、黒人として初めて地方検察官になり、その後、判事から控訴裁判所判事になった。

あるとき、高校の同窓会に行くと、少年に泣かされた教師が打ち明けた。実は、最初の本を盗むところを見ていたのだと。その場で彼と対決したい衝動に駆られたが、現行犯で捕えられる彼の決まりの悪さを思って、見過ごしたと。

次の土曜日、教師は、その作家の小説を探すために、70マイルの道のりを運転して本屋へ行ったのだった。やっと見つけた本を自費で購入すると、それを図書室の本棚に置いた。それから二度、同じ作家の本を買いに同じ本屋へ出かけた。自分を泣かせた失礼な若者の道筋を、よい方向へ変えられるかもしれないという希望を持って。

そうして、その教師は、少年に大きな影響を与えた。

もしも、少年が最初の本を盗んだ時に、教師が衝動のままに自分を泣かせた少年を捕まえ、責め立てていれば……きっと今と同じ結果にはならなかったのではないだろうか。

彼女がぐっと我慢をしたからこそ、今の少年があるのかもしれない。

「我慢するっていいことよ」

お茶の先生が言ったのと同じ含みではないけれど、その場の一瞬の感情の流れに身を任せない大切さ、我慢するからこそ大きな意味を持ってくる出来事について、考えさせられた。

2012年2月18日土曜日

"Are you happy?"

帰宅の列車で、知り合いのアメリカ人と乗り合わせた。

セラピストの彼女と会ったのは、数年ぶり。

お互いの近況報告になり、私は、社内翻訳者として働き始めたことを伝えた。

すると、彼女が

「Are you happy working there?(そこで働いて幸せですか)」

と聞いてきた。

「Yes, I am(はい、幸せです)」

と答えると、にっこり笑って

「Good(いいですね)」。

それだけの会話が、とても新鮮に感じられた。


思えば、日本語で

「○○して幸せですか」

と聞かれることはあまりない。

逆に、

「△△できて幸せですか?」

とこちらから聞くこともない。

さらに言うと、自分が英語で話す時も

「××してhappyですか」

とはあまり聞かない。今回の会話でも、逆の立場だったら、happyではなく、enjoyを使って

「そこで働くのを楽しんでいますか?」

と尋ねるに違いない。

「幸せですか」

と聞くのは、相手のプライバシーに踏み込み過ぎるような、どこかぶしつけな気がしてしまうのだ。

とはいうものの、

「Are you happy?」

という質問は、happyという概念を大切にするアメリカ人ならではの質問なのだろうか。それとも、セラピストという知人の職業柄、心の状態に関する質問が一番に出てきたんだろうか。

そんなことを考えているうちに、あることを思い出した。アメリカ人の夫婦間では、

「Are you happy?」

と言葉に出してよく確認すると聞いたこと。日本との違いが印象的で、いい習慣だなぁと思ったのを覚えている。

自分が幸せだと感じていること。相手が幸せだと感じてくれていること。それが大切だと捉えられているアメリカの人間関係や社会。

「幸せとはこういうもの」という、暗黙のルールのような概念がいまだに根強い日本の社会。

米国と日本では、「happy=幸せ」についての個人の感じ方やスタンスが違い、「happy=幸せ」という言葉や、その言葉の概念が、それぞれの国の生活や習慣にどう根付いているかも違うのだろうなと思う。

たとえ外国語を多少扱えたとしても、その言葉を生み出した文化や、その文化圏に暮らす人々の情緒までをも理解できているわけではないのだと、改めて感じた出来事だった。

2012年2月8日水曜日

人生のバランス

毎年、誕生日が近付くと、

「どう過ごそうか」

と考える。

今年は、半日仕事を休み、母と食事に行くことにした。

まずは午前中に一人で雑用を片し、それから母と買い物へ出かけた。その後、ホテルでゆっくりランチを取ってから、仕事へ。

職場では、同僚に祝ってもらい、淡々と翻訳の仕事をこなす。

5時半の定時に仕事を終えると、さっくり夕食を食べて、韓国語教室へ。一年と少しが過ぎて、韓国語教室は、すっかり一つの「マイコミュニティー」だ。気兼ねがなくなってきたクラスメートたちと、くつろいだおしゃべりをしながらの韓国語教室。

帰宅して両親とケーキを食べた後は、友達が送ってくれたお祝いメールへの返信をしたり、お礼の電話をしたり。はたまたバースデーコールをしてきてくれた友人とおしゃべりしたり。

そんな一日を終えて、ふと思った。

「あぁ、私は、人生もこんな風に過ごしたいのかもしれないな」

と。

つまり、一人の時間、家族との時間、リラックスする時間、仕事の時間、学ぶ時間、友達との時間。

どれも、私にとっては大切な時間だ。それらの時間を、自分にとって最適のバランスで配置するということ。

今の職場では、仕事が最優先のライフスタイルを良しとし、実際に、生活のほぼすべてが仕事という毎日を送っている人が多い。

そういう人たちの中で生活していると、自分が怠けているような妙な罪悪感を持ってしまうことがある。そこまで行かなくても、自分の生活や時間の使い方に不安を覚えたり。

「私、これでいいのかな」

と。

けれど、目的別、対・人別に、無意識のまま時間を割り振った誕生日がこれほど心地よかったことを思うと、やっぱり、私の人生におけるバランスも、こんなものでいいのかもしれない。

2012年2月7日火曜日

脱皮して41歳


今年も、無事に誕生日を迎えられた。

11月に人間関係につまづいて、グルグルし始めてからのことを考えると、

「こんなに元気に誕生日を迎えられるなんて、奇跡みたいなもんだな」

と思う。

本当に、カウンセラーの先生と、友人たちのおかげだ。

友人たちというのは、直接、話を聞いてくれた友人だけじゃない。何年も前にかけてくれた言葉に救われた友人もいれば、その生き方や、物事に対する姿勢から勇気をもらった友人もいる。ただ、一緒にいるだけで、明るい気分をわけてくれた友人もいる。そっとしておいてくれた友人のおかげでもあるし、温かい思いを送ってくれた友人たちのおかげでもある。

それにしても、11月からの三カ月間で、いろんなことを考えた。

その中でも、生きること、死ぬこと、人間関係については、おそらく今までで一番深く考えた。

振り返ると、1月に書いたエッセイ三本、小説一本には、すべて

「生きる」

という言葉が出てくる。

どうやら、今の私は「生きている」ことについて、書かずにはいられないらしい。

11月の出来事について話を聞いてもらっていた友人に、その後の思考の流れを話すと

「(話を聞きながら)どこまで行くんかと思った。カウンセラーの先生がいたから、そこまで潜れたんやな。インストラクターがいたから、そこまでダイビングできたか。そこまで行ったんか」

と。

そうして、小学校からの私を知っている彼女は、11月から年末にかけての私を

「あんなんなってたの、ほんと初めてだったもんなぁ。よう帰ってきたなぁ」

と。

「いや、ほんと、ギリギリまで行った」

と答えると、力強い声で

「おかえり」

と。

その言葉にガッシリと受け止めてもらって、やっと元いた世界に戻ってきたような不思議な感覚を味わった。

そんな一連の思考の中で、家族観や死生観が大きく変わった。いくつかの山を越え、トンネルを抜け、新しい景色が見えるようになった気がする。

これまでは、「必要とされること」にいつも腰が引けていたけれど、それもなくなった。

と思えば、ふと、中学時代の自分を思い出し、

「あの時の、あのシチュエーションの自分は、なんてやな奴だったんだろう」

と気づいたり、自分にはないつもりで得意になっていた一面を発見して

「あらら」

と思ったりもした。

そうして、踏みとどまって、問題と取り組んで、なんとか一つ皮を脱ぎ捨てられらた気がする誕生日。

1月下旬には、カウンセラーの先生と一カ月ぶりに話し、先生からも

「もう大丈夫ですね」

と言ってもらえた。

これからも、自分の弱さや醜さを忘れず、それらをしっかり抱きしめて生きていきたい。

2012年2月4日土曜日

「忙しい人ね」

朝の通勤電車で、同年代より少し上かと思われる女性の二人組みの近くに立った。

一人の女性が、次々と体の不調を訴えている。

眼底出血がどうの、体がどうの。

それが終わると、だんなさんの不調について。

どこかを「ざっくり」切ってどうにかなった話から、自転車で怪我をした話から。

怪我や不調の話など、事細かく聞かされて気分がよくなるものじゃない。

だんだんうんざりしてきたが、いきなり向き合って

「やめてください」

と言うわけにもいかず、

「う~」

と思っていた。

と、聞いていた女性が、その怪我談義の合間に

「まー、忙しい人ね」

と合いの手をはさんだ。

もう一人の女性は、瞬間、黙り込んだ。

聞いていたこちらは、

「えっ」

と思い、そして拍手したい気分になった。

きっと、延々と怪我の話を聞かされていた彼女も、楽しくなかったに違いない。

それを

「まー、忙しい人ね」

という一言で、会話をくくった。

これは、うまい。

「やめて」、でも、スルーでもなく、こういう合いの手をはさむことで、相手の勢いをくじいてしまった。

こういう受け方もあるのだなぁ、と感動する。

そうして、駅のホームに降り立ったころ、同じ二人組みから別の会話が聞こえてきた。

怪我談義を続けていた女性が、今度は料理について話していた。

豚肉の紅茶煮を作るには、豚の固まり肉をティーパック三袋で煮ればいいらしい。20分か30分で火が通ったら出来上がり。それをわさび醤油につけて食べると、けっこういけるらしい。

なるほど。

家でも豚肉の紅茶煮を作ることあったが、いつもたれをからめて食べていた。それもあって、しばらく前に飽きがきて、ここしばらく食卓に登場していない。

「今度は、シンプルに煮て、わさび醤油で食べてみよう」

そんなことを考えながら、すっかり気分を良くしたとある朝のこと。